井之上みこと さんのツイート
日本の幽霊の寿命は約400年と考えられています
理由は20年ほど前から、関ヶ原近辺で多く目撃された落武者の霊が激減したこと
20年前から400年遡ると、1600年
関ヶ原の戦いがあった年です
現在目撃される霊も、服装や髪型が江戸時代の特徴を持つ霊や、開国後の戦争による戦死者が多いですよねー— 井之上みこと (@1stp_inowe) July 26, 2020
7月26日は「幽霊の日」。なぜ、このような記念日がつくられたのでしょうか? その由来は江戸時代のできごとにさかのぼります。1825年7月26日、江戸にある中村座にて四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されました。今の時代にも受け継がれる人気の歌舞伎演目が初めて披露されたのがこの日だったのです。
ストーリーをおさらいしてみましょう。
―― 舞台は江戸の四谷。田宮家の娘である「お岩」は、浪人であった「伊右衛門」と結婚しました。
しかし、近くの住人でお金持ちの伊藤喜兵衛という男の孫娘が、妻子持ちである伊右衛門に恋心を抱いてしまいます。そこで喜兵衛は、お金を伊右衛門にちらつかせ、お岩に毒を飲ませるよう指示します。お岩の髪はバラバラと抜けおち、顔はひどくただれていってしまいます。その姿にショックを受けたお岩は、自ら命を落としてしまいます。そして、お岩は幽霊となり、伊右衛門を恨み続けるのです ――たちまち、江戸で人気を博したこの演目が、のちに「幽霊の日」をつくる由来となったのです。
このツイートへの反応
400年🤔…
7代祟る→1代を約60年として
7×60=420…
人間50年としても350…— オカダコージ🍎 \(σ~σ)/🍎 (@z19830122) July 26, 2020
そういえば「鞠の音で目が覚めて庭に行ったら、血みどろの貴族が蹴鞠してた」なんて平安時代の幽霊の話とか聞いたことないですもんね…!
— 木野花音 (@kannonkino) July 26, 2020
そういえば京都で応仁の乱の幽霊の目撃報告ってあまり聞きませんね。
そんな中大手町のビル街の中で千年以上も頑張っている平将門……様恐るべし。— 楯鬼 (@tateki_fx) July 26, 2020
そうなんです、特に平安や鎌倉の霊は現在聞かないですよね!
平家の霊はたまに聞きますが……
壇之浦の件、よほど恨んでるんでしょうね……— 井之上みこと (@1stp_inowe) July 26, 2020
見る事ができる人とのチャンネルが合わなくなる可能性もあるのかも、とも思うのですがどうなのでしょう。
でも成仏できたと思う方が良いですよね。消滅だと可哀想に思いますが💦
しかしどんな恨みも憎しみも400年が限度と思うとそれで良いような、少し悲しいような……。— kuroi (@961wataru) July 26, 2020
かの幽霊大国イギリスでも大概の幽霊の寿命は400年程ですが、たまに1000年以上の寿命を持つ幽霊もいるとか…
— 観測艦ユリシーズ (@ObS_Ulysses) July 26, 2020
昔のギネスブックには「最長寿の幽霊」の記載があり、それによると約2000年前のローマ帝国の兵士たちだそうです。地上30センチのところを毎晩二列縦隊で行進しているとか
— kaheru66🇦🇹🍀 (@Kaheru66) July 26, 2020
ネット上のコメント
幽霊はある程度記憶などを残して転生した餓鬼身で高位の神仏に仕えるなどで延命しなければ寿命は四百才程度という話を聞いたことがあったような。なかったような。
意志疎通が取れるならぜひ色々歴史的な事を聞いてみたいです
怖さよりもどうしてここで死んだのか?普段何をしているのか?宗教観はあるのかなど色々質問したいです
幽霊を見た事がある幽霊から話が聞ければ
800年前まで遡って姿形がわかるって事か
幽霊が怯えてガタガタ震えながら
自分の心霊体験語るとか
ちょっとウケる
「お前も幽霊なんだけど」
みたいな感じで
なるほどなー。どんなに恨んでいても、それくらいの時間の経過で魂としての意識は淘汰されて行くのかなー。そうなると、平将門の念の強さたるや、怖い
『幽霊の寿命』という概念が無かった···面白い!
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地球が幽霊でまんぱんにならない理由がわかったわん