中世阿蘇大宮司家と宝刀蛍丸 さんのツイート
\4年ぶりの通潤橋放水です/
久しぶりの放水にあちこちから歓声があがり、4年間忘れていた風景が蘇りました。 pic.twitter.com/cXFCPMulKr
— 中世阿蘇大宮司家と宝刀蛍丸 (@yabe_hotaru) July 21, 2020
(つうじゅんきょう)は、熊本県上益城郡山都町にある石造単アーチ橋。
江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手水路の通水管が通っている。
嘉永7年(1854年)、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために架けられた通水橋である。建造にあたっては地元の総庄屋であった布田保之助が中心となって計画を立て、地元の役所・矢部手永の資金や、細川藩の資金を借り、熊本八代の種山村にあった著名な石工技術者集団種山石工の協力を得、近隣農民がこぞって建設作業に参加した。
この水路付き石橋は、アーチ型の木枠(支保工)を大工が作った上に、石工が石を置き、石管と木樋(緩衝材の役目)による水路を設置して橋が完成したところで木枠を外す工法により建造された。石橋の木枠を外す最終段階には橋の中央に白装束を纏った布田翁が鎮座し、石工頭も切腹用の短刀を懐にして臨んだという逸話が残っている。
昭和35年(1960年)に、国の重要文化財の指定を受けた。またくまもとアートポリス選定既存建造物にも選定され、地域の名物・象徴となっている。この地域には通潤橋の他にも規模の大きなアーチ石橋が架けられており、遠く鹿児島や東京などにも石工技術者が招かれて石橋を作った。
2016年4月14日に発生した熊本地震で亀裂が入り、水漏れが発生する被害を受けたため放水が中止されている。修理中の2018年5月には豪雨により石垣が崩落した。
2020年3月までに修理を終え、翌月より放水を再開する予定であったが、新型コロナウイルス感染症の流行を受けて当面の間休止されることとなった。2020年7月21日、新型コロナウイルス感染症の流行のため延期していた一般公開を4年3か月ぶりに再開、記念放水が行われた。
このツイートへの反応
懐かしいーw
小学生の時に社会科見学で
来ました!— 小島ロナウド/准看護師/ウイイレ2020 (@onahiro2020) July 21, 2020
小学生の頃か中学生の頃か、
教科書に通潤橋を架けるお話があって、感動した記憶。
行ってみたいです。— 鷲見『キャベツ』ひろし (@kyabetsumade) July 21, 2020
江戸時代の庄屋や百姓が作った橋が21世紀になってもまだ現役なんだからなあ。
— Nikonist (@dorayenonman) July 21, 2020
何十年前かなぁ?
放水を見ました。
木で出来た栓を木槌のようなものでたたいて抜いとらした。よかですなぁ~🙂
— ほか とも (@HokaTom) July 21, 2020
オオッ❗️
ついに、この日が
来ましたね~👏— 熊本県の訪問医療マッサージ あいあいマッサージ (@aiaisir61) July 21, 2020
4年ぶりなのかぁ(;^∀^)
懐かしいな( ^ω^)— 七星 (@ANDfDHQDWnYfpet) July 21, 2020
ネット上のコメント
👏👏👏👏👏
マイナスイオンを浴びに行きたい✌️
懐かしい!いろいろ落ち着いたらまた見に行きたいです・・!
生きている間にもう一度生で行きたい場所です。アップロードありがとうございます。
170年先まで通用するインフラを現代人は作れるんだろうか・・・
イイっすねぇ〜
こうでなくっちゃね(≧∀≦)
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すごい迫力だわん