高田純次「歳をとってやっちゃいけないのは『説教』と『昔話』と『自慢話』
高田純次(1947年1月21日 – )は、日本のコメディアン、俳優。 芸能事務所・テイクワン・オフィス所属で、代表取締役も務める。
1971年、自由劇場の舞台を見て俳優を志願し、同劇団に入団して研究生となる。自由劇場は1年で退団し、イッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」 を結成するが、半年ほどで解散した。その後結婚したが、劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に宝石販売会社に入社し、宝石営業とジュエリーデザイナーの掛け持ちとなった。
自由劇場の研究生時代からの知り合いだった柄本明と、偶然新宿の居酒屋で再会したことをきっかけに会社を辞め[14]、1977年に「劇団東京乾電池」に入団する。しかし当初は売れず、妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている。
テレビデビューは32歳の時で、出演番組は『笑点』だった。その後、東京乾電池の綾田俊樹、ベンガルらと共に『笑ってる場合ですよ!』で初めてテレビレギュラーとなった。1985年1月、テレビドラマ『毎度おさわがせします(TBS)』で、主人公を演じる木村一八の担任教師役にてレギュラー出演した。
1985年4月、ビートたけしの冠番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に、1996年10月に番組が終了するまでの11年間レギュラー出演した。
このツイートへの反応
高田純次がはつらつとして若いのは、なにも女好きだけではなかったのだと思わず感心。
でもこの軽いおじいさんも、若かりし時は人並みに青年なりの煩悶を患ってたとか。— asitafukukazeni (@asitafukukazeni) March 14, 2021
高田純次さんが好かれる理由がよくわかります。
ご年配の方でよく「説教」、「昔話」、「自慢話」を無限ループのように話されると、こちらも辟易しちゃいます😭— Clair de lune (@miwa_1107) March 14, 2021
大事だな〜〜!
結局大事な事は、、
話したいことではなく、
相手にとって何を話すべきか。年々保守的になるからこそ
どう話すかは大事— レンアイ革命家〜1億人の恋を実現させる!〜 (@datedate001) March 14, 2021
気をつけよ。
— toytoy (@toytoy09959570) March 14, 2021
やっぱ純次はサイコーだなぁ!
— ショーワS (@oredazotabun) March 14, 2021
高田純次氏世代じゃないから全く知らなかったけどファンになりそう
とぅき!!!!!!!!!!! https://t.co/yL2A6Q9kue— ケチャップのトマト煮込み (@kyounotoushitsu) March 14, 2021
ネット上のコメント
覚えとこ。
ふざけてるだけじゃないんだなこの人
俺の師匠
説教スタートからの昔の自慢話で終わるというシナリオ好きな上司たくさんいたなぁ…
マズイマズイ昔話始めてる。。気を付ける。
イケおじ頂点に君臨するだけありますね…
急にかっこよく見えてきたにゃ